ヨコカラログX

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所在不明だった父からの手紙

なんてタイトル付けたけど正確には本人からじゃなく、保険福祉事務所から手紙が来た。

 

扶養、援助のお願いについて

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まあビックリしたさ。亡くなった報告かと思ったから。本人か施設の方かわからないが生活保護を申請してて、保護義務者の俺に扶養できるか? 金銭面、物資の援助できるか?同居できるか? を回答してくれって書類だ。

 

全て出来なければ生活保護が受けられる。

 

結果から言うと、扶養も援助も同居も出来ないと回答した。

 

 

両親は俺がたしか小学生2、3年の頃に離婚している。

もううろ覚えな感じで、それから小学5年の時に1回、6年の時に1回会ってからそれっきり。実に30年は会ってはいない。

 

扶養、援助、同居出来ない理由

 

両親が離婚してから俺と弟は母と祖母に引き取られてと言うか、父が定職に就かず、職を転々とし、酒を飲み暴れて警察のお世話になる事がたびたびあり、母と俺、弟が身の危険を感じて親戚の家に避難した事もあり、自然と母と祖母の実家に引き取られる。

離婚してから母は養育費を一切貰っていない為、昼はスーパー、夜はスナックで働いていた。

 

貧乏だったが高校まで行かせてくれたし、素行は悪かったが非行に走ることなく、盗んだバイクで走り出す事なくそれなりに生きてこれたのは母のおかげである。

当時はそんな事屁とも思わなかったが、子を持つ親の立場になって初めて言葉で言い表せないくらいの感謝で胸が苦しくなってしまう。

 

母は定年になり社員からパートになっても膝が痛いだとか、腰が痛いなんて言いながら元気に働きに行っている。

 

前に聞いた話を何回も繰り返しするのはさすがに老いたなぁと思ってしまう。まあ老人のチャームポイントだという風に捉えて笑いながら聞いていたりする。

 

 

少し先の将来について

 

いずれ母と同居する、もしくは援助するつもりでいるので、父と同居、援助なんて出来る訳がない。同居したら父、母、俺家族、昔みたく一家団らん〜。なんて笑ってしまうくらいありえる訳がない。

 

 父親の思い出

 

あまり記憶にないのが正直な所。

 

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出典  いすゞ・117クーペ - Wikipedia

金がない(仕事を転々、無職に近い)のにいすずの117クーペと言う当時割と高い車に乗っていて、新潟の海に行く車内でタバコ臭くて、母親と弟が吐いた事が強く印象に残ってる。

 

家の近くの自販機にタバコ買いに行かされたのも記憶にある。当時はタスポなどなく、誰でも自販機でタバコを買えた。セブンスターだった記憶がある。小学生がタバコを買っててもお使いかい?って言われるくらい普通の風景だった。

 

それくらいでホントに覚えていない。

父親の記憶、忘れたのか、忘れようとして自分で無理矢理に記憶に鍵を掛けてしまったのか?

 

この際どっちでもいい。

父親がいてもいなくても大人になって親になれたんだからさ。

 

これからの事

離婚してから父が再婚したのか、どんな生活をしてたのか気になるところだが、今更会うつもりは毛頭ない。向こうも会うつもりも無いんじゃないか?

だって家族に迷惑をかけ自分勝手に生きてきたんだもの。会っても何話せばいいかわからんし、老人に怒っても仕方ないと言う気持ち。一歩間違えれば虐待だよホント。

それに会って頼りにされても父の期待に応える事は出来ない。

 

だから会わない。

 

せめて生活保護費を受け取って残りの人生をエンジョイしてくれと思う。

 

まとめ

 父親が居ない生活が長かった、両親の離婚を経験して家族団らんを知らない。

 

友達、仲間の結婚が羨ましいなんて微塵も感じなかった。

 

母親に孫の顔を見せたかった。

 

それだけが親孝行として唯一、俺が出来る事なんじゃないかと思ったからだ。

 

心残りは弟の方だ。39歳、独身、実家パラサイト。

 

一番両親の離婚を引きずっているのは彼だと思う。俺も母も無理に結婚しろだなんて言った事はない。

 

結婚は多分しないだろう。

 

弟は個人事業主としてまっとうに仕事をしているのが唯一救いだ。

 

暫くして扶養援助のお願いの赤紙手紙が弟の所に来たそうだ。

 

返事は俺と同じ・・・だろうね。

 

ありがとうございました。